研究の歴史



2. 矢吹兄弟の情熱



この石は何だろう

1. おかしな石

発掘現場のそばで農家をしていた、矢吹 勝美さん、勝家さん兄弟が、茂螺湾川で庭におく石を拾いに行くと、なにやらおかしな石を見つけました。「おや、これはこのあいだの発掘で見た化石に似ているぞ」「どれどれ、なるほど化石みたいだ」ということで、月1回の休日になると茂螺湾川にでめずらしい石を拾ってくるようになりました。
こんな石が見つかったよ

2.化石だ!

1980年8月1日、いつものように石を拾いに行くとサッカーボールくらいの大きさの石になにかキラリと光るものがついていました。「これ、なにかな〜?」と思い、近くの石にぶつけて割ってみると、きれいなエナメル質をまとった歯がで出てきたではありませんか!そこで、今まで拾ったふしぎな石が化石だと確信したのでした。
化石鑑定風景

3. 鑑定

歯が見つかったことで、矢吹さん兄弟は、さっそく足寄町教育委員会に相談に行きました。教育委員会では、化石のことを聞かれてもさっぱり分からなかったので、最初の発掘でつながりのあった北海道大学の松井先生に見てもらうことになりました。
フムフム、これはすごいぞ

4.これはすごい

矢吹さん兄弟の見つけた化石が、倉庫にずらりと並べられ、松井先生が一つ一つ丹念に調べていきました。「これはすごいよ!」その化石の中には、何体分かのクジラや動物の骨が含まれているようでした。特に歯の化石は、前回の発掘のものと違い今までに見たこともないようなものでした。さっそく、現場を確認し、まだ出るかもしれないから様子を見ようということになりました。
この奥にもあるはずだ

5. 第二標本発見!

1981年10月、前の年に歯の化石を発見した場所より少し上流のガケの中に、化石を発見しました。どうやら1体分の化石がありそうだということで、発掘することになりました。11月25日、矢吹さん兄弟、足寄町教育委員会で発掘が始まりました。この化石は、頭の方を河原に出し、体はガケ中にのびていました。
第二標本産状図

6.情熱の発掘

とりあえず河原の部分を発掘し、ガケの方に掘り進めましたが、ガケが崩れそうになり危険なので発掘を中止しました。しかし、矢吹さん兄弟は「まだがけの中にあるんだよね。」ということで、自分たちだけでガケの中を掘り進み、ついに残りの化石も発掘しました。矢吹さん兄弟の情熱的な発掘のおかげで、1体分の化石を発掘することができたのです。
クリーニングをしてみよう

7. クリーニング開始

すっかり化石のとりこになった矢吹さん兄弟は、まえにもまして化石を拾ってくるようになりました。拾ってくる化石は、どれも石の表面にちょっとだけ化石が見えているだけで、このままではなにが入っているのか分かりません。
化石鑑定の様子

8.矢吹コレクション

そこで、松井先生や北海道教育大学札幌校の木村方一先生の指導のもと、まわりの石を取り除き化石だけを取り出すクリーニング作業をはじめることになりました。クリーニング作業は、農作業のひまをみてビニールハウスの中で根気よく行われました。クリーニングされて出てきた化石は、どれも今までにないような素晴らしいものばかりで、大学の先生方もうなるほどでした。